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先日岩波文庫の『三十三年の夢』を読んでいました。末永節翁が出てくる場面でふと巻末の索引を引いてみた所…没年が

『1965年』

になっていました。生年が1869年となっていますから…没年令が

『95才』

となります。確か昭和35(1960)年8月18日に92才で亡くなっていたと思いますから、逆算すると明治元(1868)年生まれ、となり三年の誤差があります。これは一体何故なんでしょう。書き間違えたか誤植か…と言った所だとは思いますが。また、もうひとつ疑問があるのですが…文中

『末永翁は滔天より一つ年長』

と言う事なのですが…先ほどの換算を比較するとどうやら二歳上?のような…でも改暦の都合もあるでしょうし、年齢に対する大らかさもあり、また枝葉の部分ですから…拘る程のものでもないのですが、少し気になったのでつらつらと書いておきます。
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杉山満丸様
はじめまして。甘木次郎と申します。コメント有難うございます。お書きになられた『グリーンファーザー』も何度も拝見して胸を熱くし…またお祖父様夢野久作の作品、更に杉山茂丸翁の『山縣元帥』や『浄瑠璃素人講釈』も愛読させて戴いており、コメントを戴きまして大変恐縮しております。
 
末永節翁について玄洋社記念館館長様よりお話を伺い、非常な興味を持ちました。まだまだこれからもっと勉強していかねばならないと思います。若輩者の大変不躾なお願いとは思いますが…御教示御指導戴ければと願っております。何卒よろしくお願い致します。
甘木次郎@管理人 2010/03/12(Fri)01:03:03 編集
小さい頃末永節さんの膝に抱かれたことがあります。
杉山茂丸の曾孫に当たります。
中国革命を指導した末永節翁が、私につぎのように云っていた。
「貴方のお父さんは、世界にない小説の型をつくり出した人である。一人の人間の尊厳というものを、一人の人間そのものを通じて、終始一人称で描き出した人である。空前絶後の人であった」
父の書いたこの文章がきっかけでたどり着きました。
明治維新は公卿五卿【※幕末の尊皇攘夷派公卿、三条実美(1837-91)、三条西季知(1811-80)、東久世道禧(1833-1912)、壬生基修(1835-1906)、四条隆謌(1828-98)の五名】(筑前太宰府)と加藤司書公以下(此は黒田藩の本当の意味での譜代の臣でなく、筑前古来の人の流れや、その地の人です)と、西郷、高杉、坂本、中岡が真の意味で中心で、これは勤皇開国論です。(しかし勤皇は天皇制護持という勤皇論でなく、もっと本質的な宗教的哲学的なものです)
これも父が遺した文章です。
杉山満丸 2010/03/11(Thu)13:09:02 編集
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